遠い昔のある日、富士の大神さまは、ひさしぶりに下界をながめ眼下に広がる大海原に、国を焼き出したなら、すばらしい国ができけるだろうなと思い、海の底に片腕をつっこみました。
 すると、海の中から火が吹きあがり、昼も夜も火はあかあかともえ続け、海の中に突き出た国、「出ずの国」(伊豆の国)を、焼き上げました。 われながら、すばらしい国ができた。富士からながめる景色も美しいと、富士の大神さまは、ひどく満足しておりました。
 けさも、いつものようにながめていますと、下の方から一人のみなれない男が、富士を登ってくるのが、目にとまりました。その男は大神さまの前までくると、
「私は、天竺(インド)から渡って来た王子です。継母とのいさかいがもとで、父王のいかりにふれ、私のすむところをもとめて、はるばる日本の国まで、やってまいりました。」といいました。
 富士の大神さまは、その男の話を、じっとおききになっておられましたが、話し方といい、態度といい、じつにりっぱな男だと思われました。
「して、何しにきたのじゃ。
「はい。私のすむ土地を、与えてほしいのでまいりました。」
 一目みたときから、正直そうな、この男が気にいりましたので、「そうか。それなら南の方を見るがよい。私が焼き出した伊豆の国だ。そなたに伊豆の国を与えよう。」と、おっしゃいました。
 王子は、お礼をいうと、すぐに伊豆の国に行きました。 さっそく王子は、伊豆の国をくまなく歩きました。歩いてみればみるほど、伊豆の国は景色も美しく、海の幸、山の幸にもめぐまれているところでした。
 王子はすっかり気にいり、国づくりにはげめばはげむほど、伊豆の国はせまい。もう少し土地がほしいと思うようになりました。
 そこで、王子は富士の大神さまのところに行きました。「大神さま、もう少し土地がほしいのです。」いというと、王子の国づくりを見ておられた、大神さまは、
「よしよし、それでは広い海をあげるから、そこに島を焼き出すがよい。しかし、その前に一度天竺に帰り父王に、今までのことを話してくるがよい。」と、おっしゃいました。
 王子は白浜の浜から、船出して、父王のところに帰り、日本の国のことを話しますと、父王もお喜びになり、いかりもといてくださいました。
 王子は、いかりもとけたので喜びいさんで、すぐに日本の国に向つて、天竺を船出しました。ところが、途中であらしにあい、船は丹後(京都)の国に、流れ者きました。長い航海と、あらしですっかりつかれきった王子は、海辺の一軒の家に、食事と宿をおねがいにいきました。
 そこには、百済の国(朝鮮)から渡ってきたという、三百二十才にもなる老夫婦と、見目、若宮、剣宮の子どもたちが、すんでおりました。
 王子が、伊豆の国の話をしますと、翁は、
「三人の宮をつれていくがよい。そしてあなたは、三島明神と名のりなさい。」といわれました。
 明神は、すっかり元気をとりもどすと、三宮をつれ船旅を続け、やっと白浜の美穂ケ崎に着きました。明神は、すぐに富士の大神さまのところに、帰ってきたこと、父王の話をすませ、伊豆の海中に島焼きにとりかかりました。
 かしこい見目は、海竜王、白竜王、青竜王をはじめ、多くの竜王をつれてきました。
 若宮は火の雷を呼び、剣宮は水の雷を呼んで、島焼きをはじめました。富士の大神さまからもらってきた、三つのおきな石を竜王が、海にうかべると、それを火の雷が焼き、水の雷がこれに水をそそいで冷やしました。すると、たちまち炎は天までとどき、海中はにえたぎり、一日一晩で、一つの島ができました。神々は、初めての島なので、「初島」と名づけました。二番日には、島焼きをする神々が集まる島、神集島(神津島)。三番目は大島。四番目は、海の塩をもったような白い島、新島をつくり五番目には、若宮、剣宮、見目の家をつくるための三宅島。六番目には、明神のお蔵をつくるために、御蔵島をつくりました。
 さらに、七番目には、はるか南のはてに、沖の島。八番目には小島。九番目には天狗の鼻のような王鼻島。十番目の島は十島(利島)と、それぞれ名づけられました。富士の大神さまは、伊豆の国が、三島明神を中心にに栄えていくのを、ひどくお喜びになられました。
 若宮、剣宮、見目の三人の神さまをまつって、三島明神と呼ぶのですが、三島大社とまぎれやすいので、白浜明神とあらためて、呼ぶようにしたとのことです。

「南国伊豆の昔話」 社団法人 下田青年会議所発行より




昔、天竺
(インド)の王子は継母(ままはは)とのいさかいがもとで、父王のいかりにふれ、とうとう国を追い出されてしまいました。王子はしかたなく、あてのない旅に出ました。そのすえ、ようやく中国や朝鮮などをへて、はるばる日本へ渡ってきたのでした。

 王子は日本一高い富士の大神さまにあって、自分の住む土地を与えてもらおうと、山に登っていきました。
 ちょうど富士の大神は山頂に立って、四方にひろがる下界のようすを、うっとりと眺めているときでしたので、すぐ王子の姿が目に付きました。大神は、みなれぬ男が来たものと、呼びとめてたずねられました。
 「いったいおん身はだれじゃ。」
王子は、わるびれるようすもなく、
 「天竺からまいった、王子でございます。」
とこたえました。その態度はどうどうとしていて、みじんもけがれをかんじさせないものでした。
 「では、なにしにまいられたのか。」
 「はい、わたしはふとしたことから母といいあらそいをし、乱暴をはたらいてしまったのです。そのため、父王のいかりを受け天竺を追い出されました。この国に渡りついてみますと、ひときわ高く美しい山が見えましたので、このお近くに永住の地を与えていただこうと、たずねてまいりました・・・・・・。」
 大神さまは、王子の正直でてきぱきした気性と、品のよい言動がたいそう気に入りました。しばらく下界を見渡していた大神は、青い海に鼻のように突き出している南の半島を指さして、
 「では、そなたにあの伊豆の国をあたえよう。」
といいました。
 王子は大神になんどもお礼をのべると、大よろこびで伊豆の国にやって来ました。さっそく伊豆の国をくまなく歩きました。海に囲まれた半島は、樹木がよく茂り、各地に温泉が出て、そのうえ、産物も豊かで申しぶんのないところでした。でも、ちょっと気になる点は、国がせまいことでした。
 王子は、ふたたび大神のところに行き、
 「国が少しせまいようでございます。できることなら、囲りの海までいただきとうございます・・・・・・。」
とおねがいしました。大神は、ためらうようすもなく、すぐに願いを聞きいれて、
 「海に島を焼きだして住むがよい・・・・・・。」
とおっしゃるのでした。
 王子は安住の地をえたよろこびを伝えたり、父王のいかりを少しでも解こうと、いちどは天竺に帰っていきました。

 天竺に帰り着いた王子は、さっそく日本の国に安住できる土地をえたことを、父王に報告すると、大へんよろこんでくれた。そして、しばらく会わないでいる間に、父王のいかりも解けていた。王子はこのことを気にかけていただけに、胸のつかえがほぐれる思いでした。

 こうしたことから勇気のわいた王子は、一路船にのって伊豆の国にむかったが、運悪く海上で暴風にあい、とうとう丹後(たんご)の国(京都)に流れ着いてしまいました。
 海岸に漂着した王子は、はからずも百済(くだら)の国(朝鮮)から渡ってきたという、かぞえ年三百二十才にもなる老人夫婦にたすけられたのでした。この翁(おきな)は、王子から伊豆の国の話をきくと、
 「伊豆の国はせまいが住みよいところだ。大神のいうように島を焼き出して、お住みなされるがよい。わたしには、若宮(わかみや)、剣宮(つるぎのみや)の男の子と見目(みめ)という、かしこい女の子の三人の子どもがいる。この若者たちはきっとあなたのお役にたつでしょう。よろしかったらどうぞお連れくださいまし。そして、伊豆においでになったら、三島明神と名のられるのがよろしゅうございます・・・・・・。」
と知恵をさずけてくれたのでした。
 やがて、王子と三人の若者が乗った船は、丹後から伊豆の石廊(いろう)に着きました。王子は富士の大神に島焼きの許しをねがい出ました。

かしこい見目が、まず海から海竜王を呼びました。つづいて若宮が、天に向かって火の雷を呼びました。そして剣宮が水の雷をよび島焼きにかかりました。王子は竜王にめいじて富士から大石を運んでもらい、火の雷がこれを焼き、水の雷がこれに水をそそいで冷やし、一日一晩で小さな島をつくりあげました。これが島焼きのはじめでありましたので、初島としました。
 ついで、島焼きをする神々が集まって相談するところにしようと、神集島(かみつ島:神津島)をつくりました。
 つぎに、少しはまとまった大きな島にしようと大島をつくりました。第四に海の塩を盛ったような白い新島。第五に明神を手伝う若宮、剣宮、見目の三人の家をつくるため三宅島(みやけじま)。第六に、明神のお蔵を置こうと御蔵島をつくりました。
 さらに、海上はるかな沖あいに沖の島。第八に小さな小島。第九に天狗の鼻のような王手島(おうでじま)。さい後に十島(利島)をつくりあげたのでした。
 富士の大神さまは、王子のあざやかな島焼きを見守っていましたが、このぶんでは国もりっぱに治められるとよろこんでいたのでした。
 若宮、剣宮、見目の三人の神々をまつって三島明神とよぶのでしたが、三島大社の明神とまぎれやすいので、白浜明神とあらためて呼ぶようにしたのでした。



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